1枚のハンカチのディスプレイからクリスマスシーズンを盛りあげる館全体の装飾まで。VMD(ヴィジュアル・マーチャンダイジング)は、リアルな店舗空間を演出し、お客さまに「心が色づく瞬間」を届ける仕事です。大丸・松坂屋では季節・商品・プロモーションに合わせて店頭の風景を変化させることで、ここにしかないときめきをお届けする重要な役割を担ってきました。しかし昨今、コロナ禍の影響やオンラインショッピングの台頭により、店舗空間の価値が揺れ動いています。こうした状況は30年のキャリアを持つVMD担当者の目にどう映っているのでしょうか。

商品ひとつから、店舗全体まで。

つい足を止めて、店の中に入りたくなってしまう。そんな心躍るヴィジュアルを仕掛けて、百貨店にまたとない空間をつくり上げるVMD。その仕事は、ひとつの商品のディスプレイ設計から、店の世界観を一変させるほどの大掛かりな内装の演出まで多岐に渡っています。

また「本店がない百貨店」である大丸・松坂屋のVMD担当者は、特に各店の個性を意識して日々アイディアをふくらませています。たとえば心斎橋店では、名だたるブランドが「是非出店したい」と思えるようにユニークな建築の魅力を最大限に引き出すVMDを意識しています。また地元の文化に強く根付いている神戸店では、地域の魅力をより高める取り組みを発信することを心がけています。様々な営業形態や土地にあわせて、各店の店舗価値を最大化するVMDが理想です。

去年に挑戦してこそ前進する。

毎年やってくるシーズンイベントでも、つねに新鮮な世界観でお客さまを迎える。それがVMDの難しいところでもあり、醍醐味でもあります。「必ず決めているのは、去年と違うものをつくること。毎年同じものをつくったら停滞どころか後退ですから」と語るのは、この道30年、大丸・松坂屋の様々な店舗で経験を積んできたM.D。中でも印象に残っている仕事のひとつに、コロナ禍で迎えた2021年心斎橋店のクリスマス演出があると言います。

「3年前は今よりもっと社会全体に不安が拡がっていて、空間演出にお金をかけている場合ではないという空気が漂っていました。ですが、そういう時だからこそ動き出さないといけないと思い、それまで以上に力を入れたのが2021年のクリスマスです。その頃、コロナの影響で育てていたクリスマスツリーの面倒を見ることができなくなった植木業者さんがたくさんいたんですね。そこで、行き場を失った36本の枯れ木を集めて丁寧に整え、シャンデリアのように天井に吊り下げることで、圧巻の空間をつくりました。多分あの時立ち止まっていたら、コロナ禍が明けた後も力強く動けなかったと思います」。

すべての醍醐味はプロセスにあり。

一見、華やかで洗練された世界に見えるVMDの仕事ですが、裏側では東へ西へと駆け回り、ときに汗をかきながら試行錯誤を繰り返しています。2022年のクリスマスシーズンを堂々と飾った2万個以上の松ぼっくりは、実は数がなかなか集まらず、天橋立や鳥取砂丘まで出向いてスタッフ総出で地道に集めたもの。予想外のできごとやうまくいかないこともたくさんありますが、それはまだ見たことのない新しいものを追求するからこそです。

「VMDの仕事は、できあがったショーウインドーやステージでしかお見せすることができませんが、僕にとっておもしろいのは完成品よりもその途中段階です。『お客さまがこれをご覧になったらびっくりするはず』とシミュレーションしている時なんかは本当に楽しいですね」。もちろんお客さまに楽しんでいただくためのものですが、もしかしたら一番ワクワクしているのは、つくり手の方なのかもしれません。

ショーウインドーやステージの図面資料

最後の日まで脚立に乗っていたい。

どれだけ豊富な経験を持ち、たくさんの知識を身につけていても、いつかアイデアは枯渇してしまうもの。だからアイデアのタネは、いつも店頭の声に耳を傾けることで拾い集めます。販売員がどのように商品を説明しているのか、どんなことが伝わらなくて困っているのか、何気ない会話の一つひとつの中からVMDがあるべき姿を考えて、一緒に売り場をつくっていきます。

「一番うれしいのは、商品の企画担当者や販売員がまるで自分がつくったかのようにVMDのことを熱弁してくれることです。我々は売り場とともにある部署だと思っていますので。僕も定年する当日まで現場で脚立に乗っていたいですね」。VMDはあくまで売り場の人たちの想いとお客さまとの間にある潤滑油。商品の魅力を直に伝える、最前線である店頭とチームになって、お客さまにブランドの商品や世界観を届けています。

必要なのは、器用さじゃない。

VMDに求められるスキルは、ディスプレイの模型を造作する技術でも、ビジュアルのイメージを制作するソフトウェアを使える専門知識でもありません。お客さまや販売員がいる売り場の目線に立てること。そして、そのためにたくさんの人と関わりあえるような行動力が大切です。「続けていれば、技術は勝手についてきます。それよりも1分でも長く店頭にいて、チームになる売り場の人たちにまず名前を覚えてもらってください。たとえば営業部のメンバーなら、化粧品を担当している時にはそのフロアでの勤務が中心になりますが、VMDはいつでもすべてのフロアが仕事場です。それぞれの店頭で起こっているあらゆることを知っているのが一番の財産になりますし、その経験は他の部署に行っても活きるはず。ぜひじっとしていられないような人と働きたいですね」。

VMDから百貨店を百価店に。

オンラインと比べて店頭がオフラインと呼ばれることもありますが、決して百貨店の空間は電源が切れたように物静かなわけではありません。むしろこれまで以上に人と人が近くなり、人がいるからこそお買いものに来てもらえる熱量ある空間へと移り変わりはじめています。

「実店舗を見ていると、魅力的な販売員がいたり、楽しい会話が生まれたりするから来ていただけるお客さまが増えていると感じます。これからのVMDはもっと販売員の武器になって、その人の価値まで高められるような存在になっていきたいです。そうすれば、物が百個ある百貨店から、ここで買うことに価値がある『百価店』になっていけるはずです」。商品、店舗、そして人と、空間にあるあらゆるものの価値をどのように引き出せるか、VMDにできることはまだまだありそうです。

プロフィール

M.D/大丸心斎橋店 VMD担当
1972年生まれ。1991年大丸(当時)に入社。大丸大阪梅田店宣伝部装飾課(当時)に配属。入社以来、VMDを担当。2015年・16年大丸大阪心斎橋店本館建て替えに伴う休業準備および北館集約プロジェクトVMD担当兼務し、2019年〜現職。

※所属部門/役割は2023年8月時点のものです
www.daimaru-matsuzakaya.com